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あなたの笑顔を守ることがいちばん大事

「美容室やネイルサロンへ行くように、皆さんがもっと気軽に心理カウンセリングを受けられるような世の中になってほしい」
そんな気持ちで日々活動している、山口りりかです(*^_^*)

笑顔の力は絶大

娘を連れていった病院の待合室での事です。

まだやっと首がすわったような赤ちゃんと幼稚園生くらいのお姉ちゃん、きっとその2人のお母さんであろう3人がすぐ近くに座ってきました。

お姉ちゃんがあやすたびに赤ちゃんが満面の笑顔になって、とうとう声までだして笑っている様子が何とも可愛らしくて。
怪しまれるかな〜と思いつつ、何度もチラ見してしまいました…。

それくらい、屈託のない笑顔って心を惹き付けられるものですよね(*^_^*)

笑顔の記憶がない子ども時代

わたしの子ども時代について書いていこうと思います。

わたし自身は、極端なほどに人見知りで、友人もかなり少なく、学年が違う男の子達に帰り道に虐められたりして、家で漫画を読んでいる時以外はほとんど笑うことがありませんでした。

その頃はまだとても珍しかった母子家庭という状況も大きなコンプレックスで、学校へ行っても他の子達が羨ましく見えてしまい、常におどおどしていて
ざっくり言うと、陰キャな子どもでした。

わずかに残っている写真も、ほぼほぼスンとした表情で…
かわいい記憶も記録もないわ〜( ̄▽ ̄;)
と今更ながら少し残念に思います。


そしてわたし自身もですが…
それ以上に『お母さんが笑っている記憶』が、わたしの中に残っていないのです。

『わたしは親に好かれていない』

今でこそ、母とは仲良く話せるようになりましたが…

物心ついた時から高校を卒業するまでの間、わたしはずっと『お母さんに嫌われているのではないか』と不安と不信感で、未熟なわたしの心は常に恐怖でいっぱいいっぱいでした。


わたしが小学校に上がってすぐに離婚することになり、祖父母宅へ身を寄せつつも、ずっとシングルマザーでわたしと妹の2人を育ててくれたことに今は感謝しかないのですが、その頃は本気で『わたしは親に好かれてない』と思っていたのです。

苦労していた母

21歳になったばかりで長女であるわたしを出産し、その数年越しには妹を産み育て、家庭を顧みない夫(わたしの父)に貯金を使い果たされるなど、散々振り回された挙句、自分の意志とは裏腹に離婚することになり…

母は27歳頃から常に白髪が絶えないほどに苦労して、わたしと妹を育ててくれました。


母方の実家も貧しく、祖父が隣家を買い取ってくれて、そこに住まわせてもらいましたが…
昭和初期の木造家屋だったので、雨漏りなんて当たり前。水道も電気も使うのを切り詰めて、母はひたすら節約節約と言い続け、いつもしかめっ面をしていました。

お母さんにはもう頼れない、と感じていた

昔の母の姿を思い出そうとすると、いつも仕事に行っていたこともあるのでしょう。
あまり母と過ごした記憶自体がなく、思い出せたとしても、勉強しなさいと言われ続けたこと、帰宅が少し遅くなって怒られたこと、何かで喧嘩したことなど、ネガティブな思い出ばかりなのです。

そして職場での愚痴を他所では言えなかったのか、子どもであるわたしに、しょっちゅう「こんなことがあってね…」とブツブツこぼしていました。


しかしながら、わたしが帰り道で虐められたと訴えてもあまり相談にはならず、学校も休ませてもらえず、いじめられないように強くなりなさい!と言うばかりの母に、わたしは頼ってはいけないんだなと、子どもながらに諦めたと同時に…

母はいつも暗い顔をして怒っているように見えたので『わたしはお母さんみたいにはならない!』と、強く思ったのでした。

そしてわたしは小学校3年生にして「自分のことは自分で守らなければ、誰も守ってくれない」と、人間不信の沼に嵌っていったのです。

本当は、余裕がなかっただけ

そんな母との関わり方だったので、高校を卒業するまで、わたしは「この人は、わたしを生んでしまったから仕方なく育てているんだろう」と本気で思っていたのです。

わたしの気持ちより、世間体の方が大事なんだろう。
と、ずっとそう思っていました。


ところがある時、転機が訪れました。

わたしが専門学校のために実家を離れた辺りから、急激に表情が柔らかくなったのです。
それは本当に衝撃的だったので、20年以上経った今でも忘れられません。

そして、わたしは最初に勤務した病院をたった1年で辞めることになったのですが、寮に荷物を取りに来てくれた母へわたしに関する嫌味を言われた時にも、さらっとわたしを守るような発言をしてくれて…

その時になってようやく
『お母さんもずっと1人で子育てをしていて余裕がなくて苦しかったんだな。ちゃんと大事に思ってくれていたんだな…』と気づけたのです。

お母さんが笑っていると、子どもは安心する

定時制の専門学校に通いながら働いていた病院を、たった1年で辞めて寮から実家に戻り、また母との生活が再開しましたが、その時の母は表情が穏やかで、一緒にテレビを観たり、ごはんを作ったり、調理師の免許を取りたいという母の勉強に付き合ったり…

今思えばいちばん楽しい親子の時間だったように思います。


きっとわたしを高校まで出して、少し肩の荷がおりたのかもしれません。
ニコニコしている母の姿が、わたしにも心の安定をくれたように思いました。


そして現在の母は、孫(わたしの娘たち)に
「ばーちゃんて、おもしろいよね!!」と言われるくらい、帰省するといつも楽しそうにしていて。
本当は笑うことや楽しいことが好きで、家族へも愛情のある人だったんだなと感じています。

『お母さん自身の幸せ』を大切にしていこう

わたし自身が、子ども時代に母の笑顔に触れられなかったことで常に「わたしは愛されていないのでは…」と、こっそり布団の中で泣いてしまうほど不安でいっぱいだったからこそ。

これからを生きる、今の子どもたちが少しでも不安を感じることが少なく、すくすくと幸せに育ってほしいと強く思います。

そのために先ずは『お母さん自身が幸せであること』が不可欠だと考えるようになりました。


子どもたちは家庭環境に恵まれなかったとしても、お母さんのことが大好きです。

あれだけ昔は不信感でいっぱいだった、わたしですら、やっぱり母はずっと大切な人で、困っていたら助けてあげたいと思うのです。


お母さんが辛そうだと、子どもも苦しくて。
お母さんがうれしそうなら、子どもも幸せなのです。

子どものために、家族のために、 幸せなお母さんでいよう✧︎*。

わたしは
《子どもたちの幸せのために、お母さんたちの幸せ》をつくりたいという想いで、カウンセラーになりました。

お母さんが笑顔でいると、子どもはうれしいんです♬
お母さんが幸せそうだと、子どもは安心するんです♡


だから
「子どものために…」って歯を食いしばって、何かを我慢して、眉間にシワをよせているなら。
子育てに自信が持てなくて、不安で心が荒みそうになっているなら。

いつでも頼っていただけたら、とてもうれしく思います(*^^*)


あなたも、あなたのお子様も、みんな幸せでな今日でありますように✩.*˚